2014年4月20日(日)
【よじ登る】 ドラムスベン! 息子をパシャリ! どうぞよろしく! 4月14日月曜日 人はそれぞれに おぼえやすい単語とおぼえにくい単語があると思います 息子はどうやら食べ物の名前をおぼえるのが得意なようです 「デザート」とか早かったからなあ わてのなかなかおぼえられない食べ物の名前はパエリア 一度妻が作ってくれた事があり 美味しかったので思い出そうとするのですが まったく出てきません 近いところで パーキングエリアとその時はおぼえていても いざ思い出そうとしたら それすら出てきませんでした 得意 不得意は人それぞれ ちょっと抜けているくらいがちょうどいいかもね 4月15日火曜日 夕方仕事帰りに 妻と子供達と公園で合流 日が長くなってきたおかげで 公園に居られる時間が長くなってきました わては息子と遊具で遊び 妻はベビーカーの娘とベンチに座る 妻はガールズバンド時代にお世話になっていたライブハウスの人に偶然会ったようでした こんな事ってあるんだね お腹が空いてきたからそろそろ帰ろう しかし息子は帰ろうとしません 妻と娘に先に帰ってもらい わてはそのまま息子と公園で遊んでいました 次第にひと気がなくなり始め 遂に公園にはわてと息子だけ そろそろ帰ろうか 餌で釣るような言葉は一切なく 息子は自然に遊ぶのをやめ わてに向かって手をのばす よし! 「おなかへったよー」と声をあげる息子 君がなかなか帰ろうとしないからだよ ふたりお腹ペコペコで歩く帰り道 夕陽がとてもきれいでした 4月16日水曜日 月がまん丸で とてもきれいです 夜明け前から動き始め 夕方帰る生活が続いています 今日も息子と公園へ遊びに行きました 吊り橋のような 揺れる丸太を一本ずつ渡るやつ 息子は行きたいけど恐くて一歩が踏み出せない様子 するとひとりの少年が「大丈夫だよ」って息子に手を伸ばしてくれています トモキ君という小学一年生でした 「お父さん(わて)は後ろから支えてください」 しっかりした子だなあ わてが「よし!まず一歩いこうか!」と言うとトモキ君は まず進む先の鎖を握るのが先だということを 丁寧に説明してくれて あれよあれよで息子は苦戦しながらも 丸太の吊り橋を渡る事をおぼえました トモキ君は息子をえらく気に入ってくれて 次は太いロープでできたネットをのぼるやつまで 手とり足とり一緒になって 丁寧に教えてくれました 2歳だとこれはまだ危ないとか 事細かな分析までしっかりとしてくれるトモキ君 トモキ君のママは いらないお世話をしてすいません と謝ってきましたが とんでもない こっちは嬉しいばかりです 「ねえみてみて!」誰かがわての腰を叩く すると今度は4歳の年中組の子が腕の力だけで よじ登るところをわてに見せつけてくる できるところを見せたいのは 大人も子供も同じだね 「最近みんな結束力が欠けてる!」 年長さんくらいのリーダー的存在の女の子が叫ぶ わて見てて思いました こういった場所には このくらいの年齢の子達なりの社会があるのだと だから急に中学生くらいの子達が 入ってくると やはり場違いな感じをおぼえたり 自分も通ってきた道なのに どの立場でものを見ればいいのか たまにわからなくなります そんなことを考えながらも わては離れた場所から息子を見守る すると一緒に遊んでいたトモキ君がやってきて「お父さん(わて)に大事な事を伝えなければいけません」と かしこまったかたちで話しかけてくる なんだろうか すると「僕はそろそろ帰らなければいけません」で始まり どうやら息子の事を心配してくれているのです あそこは前から◯◯君(息子)の手を持ってあげてください とか あそこは後ろから支えてください とか わてそれを聞いててなんか ジーンときちゃってね 今日の今日初めて会っただけの息子にそこまでって 違うんだね 子どもにとっては たとえわずかな時間でも 深いところまで感情が動いているのだと 染み染みと感じました 息子を呼びトモキ君と握手させる 「またあそぼーね」 もちろんわてが言ってからですが そう言葉を放つ息子が少し大きく見えました 帰り道 歩いていると 息子はわての前に回り込んできて「抱っこ」 相当疲れていたみたい 4月17日木曜日 夜 バンド練習で中川区のスタジオへ行く バックメンバーが揃い 2ヶ月ぶりに音を合わせる 5月24日の下島右己でのライブに向けての練習が始まりました 安心して思いっきり歌ってもらえるよう しっかりとした土台をつくりたいです 4月18日金曜日 おっかなそうに見えるお店 見えていたお店は 誰にでもあると思います わての場合は 学生時代 楽器屋さんに対して どうも恐い印象がありました ちょうどわてのよく行く小鳥屋さんのまん前が楽器屋さんだったのです 何度か恐い人達に ゆすり 恐喝を受けていたわてにとって それっぽい人が出入りしているのを たった一度見かけただけで 自分の中で 恐いイメージを勝手にどんどん作り上げてしまっていたのです 22歳の時 初めてその扉を開けてみてびっくり そこはとても夢の詰まった 華やかで明るい 希望に満ち溢れた場所でした 2000年ちょうどに そのお店のドラム教室へ通い始め わての最初のメンバー ヤスタ(当時15歳)に出会い バンドを始めた頃 今度はライブハウスが恐くて恐くてしかたがありませんでした わてとはうってかわって積極的なヤスタは 頻繁にライブハウスへ出入りをしている あのおっかないライブハウスにへっちゃらで行っているのだから 行きたくてもお金がないってボヤくくらいね わてはむしろお金がないから行けないと言いたい側でした ヤスタは 服を買いに行こう 髪形をこうしようと わてを大きく大改造しようとしてくれましたが 根っこにあるものまでは変えられません わてらのバンドは わてらドラムとベース以外のメンバーが見つからず ヤスタの作ったメンバー募集のチラシを方々の練習スタジオへ貼って回り 連絡のあった人と会っては話し また会っては話す これを繰り返しているうちに 2002年の後半かな ヤスタがGUSUSに加入する わては心のどこかで ヤスタとは住む世界が違う事を感じていたので これを機にお互い違う道を行こうとしていました その年の冬 ヤスタから一本の電話 ライブをやるから見に来て欲しい と言われ わては勇気を出して 家を出ました 目的地は名古屋市の新栄サンセットストリップ 車で家を出て 名古屋に入り もう少しでライブハウスというあたりの大きな交差点 わて思い切りUターンしていました 恐くてね Uターンしてから家までの道で感じた罪悪感は今でもおぼえています お金が惜しいのではなく 家でほかに何かやりたい事があるわけでもなく ただただ恐かっただけ 理由はそれだけ ヤスタには途中まで向かっていたなど言えるわけがなく 適当な嘘をついていました すべて気づくのが遅いんです ライブハウスの素晴らしさに気づいたのも もっと後 時間を戻して まだ気づいていない自分に教えたいくらいです 後悔ばかりの人生 Uターンばかりの人生 でも選んだ道に悔いはないと思い込んでやっていきます そしてまた 歌を浴びに 生きる力をもらいに 感動をもらいに またライブハウスへ行きたいです もしまたおっかない印象の何かが現れた時は 自分を信じて思いきってドアを叩きたいと思います 4月19日土曜日 お昼過ぎに帰り 家でじっとしてられない息子と遊びに出かける いつもと反対方面の公園へ行くと オートバイの後ろに子供を乗せて遊びに来ているパパがいました 気になったので声をかけると 年も同じくらいで ふたりのお子さんも うちよりちょっと上くらいでした まあこれはわての勝手な思い込みですが 「パパ友達ができました」 いつかツーリングに行きましょうなんて 言ってもらい 浮かれている次第です 綱のネットをのぼる息子を後ろからパシャリ! そこへ娘と出かけていた妻が車でやってくる ママにカッコいいところを見てもらいたいのか 息子は気合い入れてのぼってました しっかり遊んで そこから息子と走って家に帰り晩ごはんの準備 おいしい中華丼を食べました 夜中 明日の日課と 中川区の練習スタジオでドラムをスコタン 疲れていてもドラムは楽しい♪ 4月20日日曜日 ドタバタと走る息子の足音で目覚めた朝 昼食も兼ねて みんなでお出かけ お隣の小牧市にある大型デパートまで行き お昼を食べて 4階の子ども広場で遊んで帰ってきました 思いのほか 娘が喜んで遊んでくれたね 買い物をすれば3時間無料の駐車場 12時14分に入り 3時14分ギリギリに出るという 奇跡的な一幕もありました 夜は美味しい 大盛りマカロニグラタンを食べました よし!今週も始まったかあ!始まったかあ! 月曜日は新バンドの練習で蒲郡だ! 行くぞ!おうー! [更新通知] <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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