テリー・ゴディ


テリー・ゴディ

テリー・ゴディ(Terry Gordy、本名:テリー・レイ・ゴディ 1961年4月23日生)
 [アメリカ・プロレスラー]


 テネシー州チャタヌーガ出身。生まれついての巨漢で、ほとんど訓練もしないまま年齢をごまかし14歳でプロレス入りしたとされ、1977年にテリー・メッカのリングネームでデビュー。1年後、地元テネシーで出会った2歳年上のマイケル・ヘイズと出会って意気投合し、テリー・ゴディと改名、1978年末よりタッグチーム「ファビュラス・フリーバーズ」を結成する。以降、ヒールのタッグチームとしてテキサス州ダラスを中心に全米で活躍。後にバディ・ロバーツを加えて3人組となり、ダラスの英雄フォン・エリック兄弟との抗争は凄まじい人気を得た。

 1983年8月に全日本プロレスに初来日。日本でのテリー・ファンク引退試合でのザ・ファンクスの対戦相手として、スタン・ハンセンのパートナーに起用された。翌年にはフリーバーズでの来日も実現したが、ゴディのみ全日本の常連となる。デビュー間もない頃に教えを受けたルー・テーズ直伝のパワーボムをフィニッシュ・ホールドとして頭角を現す。テリー・ゴディのパワーボムは技を決めた後に、そのままフォールの体勢に持ち込むのが特徴で、それ以降多くの日本のレスラー達が使うようになった。

 1984年8月にはフリーバーズとしてWWFにも出場。その後、フリーバーズはダラスのWCCWを主戦場に、バーン・ガニア主宰のAWAやビル・ワット主宰のUWFなどにも参戦。シングルでも1986年5月30日、トーナメントの決勝でジム・ドゥガンを破りUWF世界ヘビー級王座の初代チャンピオンとなった。

 1988年のオリジナル・フリーバーズ解散後、ゴディは全日本プロレスを主戦場にスタン・ハンセンとのタッグで世界タッグ王座を獲得。また同年の世界最強タッグ決定リーグ戦を制覇した。1990年3月にはスティーブ・ウィリアムスとタッグチーム「殺人魚雷」を組み、世界最強タッグ決定リーグ戦を1990年、1991年と二連覇する等活躍した。シングルでも1990年6月5日にジャンボ鶴田から三冠ヘビー級王座を奪取している。

 1993年8月、全日本のシリーズを欠場。内臓疾患ということになっていたが、実際は一度、全日本参戦中に心停止したことがあり、病院に担ぎ込まれたというのが真相である。1年後の1994年7月、サマーアクションシリーズ中盤より全日本マットに復帰したものの全盛期の動きには程遠く、これが最後の全日本への来日となった(スタン・ハンセンによると、ゴディの素行不良のため、全日から解雇を宣告されたという)。

 ゴディは非常に強い痛み止めの薬を飲んでいたが、元来の酒豪であり、チャンポンしていたという。現在で言うステロイド剤の副作用もあり、精神的にも異常な行動が見えたことからそれが原因で全日本には呼ばれなくなったというのが真相である。1995年にはIWA・JAPANに参戦したが、控え室で尿を垂れ流していたなどの行動も見られたという。その後、持病の心臓病が悪化し、2001年7月16日にテネシー州チャタヌガの自宅で心不全で急死した。

 2001年7月16日死去(享年40)


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