カルロス・ガルデル


カルロス・ガルデル

カルロス・ガルデル(Carlos Gardel 1890年12月11日生)
 [アルゼンチン・歌手/俳優]


 ガルデルの出生地は諸説がある。フランストゥールーズ、幼少時にフランスからアルゼンチンに移民したという説、アルゼンチン出生説、ウルグアイのタクアレンボー出生説がある。ガルデルのプロ・デビューは1911年、そしてその2年後の1913年に民謡歌手ホセ・ラサーノとデュオを組み、このデュオは1925年まで活動を続けた。このデュオでガルデルは多くの民謡も歌っているが、1917年に初めて歌った『ミ・ノーチェ・トリステ』によって本格的なタンゴ歌唱を確立、次第に独自の道を歩む事になる。「ミ・ノーチェ・トリステ」はラテンアメリカでヒットを記録。ガルデルは、バルセロナ、パリ、ニューヨーク、ウルグアイ、チリ、ブラジル、プエルトリコ、ベネズエラ、コロンビアなど各地に演奏旅行を繰り返し、アルゼンチンに戻ってもすぐに海外に出発する活躍ぶりにアルゼンチンでは『偉大なる渡り鳥』というニックネームで呼ばれた。

 ガルデルは歌のみならず、タンゴの作曲も手がけており、「わが懐かしのブエノスアイレス」「ボルベール」などが特に有名である。また、歌や作曲ばかりでなく、俳優として映画にも出演。ガルデルが出演する映画の中では彼は必ず歌を披露し、歌のみならずその二枚目的風貌と相まって全スペイン語圏で彼の人気はますます高まっていった。

 1935年、ガルデルはニューヨークでの映画撮影を終え、アルゼンチンへの帰途についた。 アルゼンチンにたどり着くまでの道中にあたる南米諸国で、映画宣伝を兼ねたコンサートを催しながら、コロンビアまでたどり着く。そしてコロンビアのメデリン空港から飛び立とうとしたガルデル一行の乗る飛行機は離陸に失敗、失速して墜落炎上し、ガルデルらは焼死した。

 1935年6月24日死去(享年44)


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