ポルフィリオ・ルビロサ


ポルフィリオ・ルビロサ

ポルフィリオ・ルビロサ・アリーザ(Porfirio Rubirosa Ariza 1909年1月22日生)
 [ドミニカ共和国・外交官/レーシングドライバー]


 ドミニカ共和国サン・フランシスコ・デ・マコイスで軍人の家に生まれ、父が駐在武官としてフランスのパリに赴任したことから、少年期までの間を同地ですごし、17歳の時にドミニカ共和国へ戻る。1937年に同国の独裁者のラファエル・トルヒーヨ大統領の娘であるフロール・ド・オロと結婚し、同国の駐フランス特命全権大使としてパリに赴任するものの、すぐに離婚し、第二次世界大戦中の1942年に、当時フランス最高の美女と称えられた世界的な人気女優のダニエル・ダリューと再婚する。なお数回の結婚(離婚)歴を持ち、フロール・ド・オロとの最初の結婚で駐フランス大使の地位を与えられたほか、ダニエル・ダリューや世界的なミリオネアのバーバラ・ハットン、ドリス・デュークとの離婚では多額の慰謝料に高級車、さらには自家用のノースアメリカンB-25まで手にしている。

 しかしその後もヨーロッパや南米をはじめとする世界各国の社交界でプレイボーイとして鳴らし、欧米の女優や貴族の令嬢との交際の噂が絶えず取りざたされた。また、レーシングドライバーやポロプレイヤーとしても活躍したほか、実業家や宗教家。貴族、王族、大富豪などの上流階級との親交を持っていた。

 1965年7月に、パリのナイトクラブ「ジミーズ」で行われていた、自身が所属するポロチームの祝勝パーティーの帰りにフェラーリ250GTを運転していた際に、ブローニュの森で他の車を避けようとして木に激突し事故死した。

 立派な男性器を持つことでも知られ、バーバラ・ハットンは「グロテスクなサイズ」、ドリス・デュークは「これまで見た中で最も巨大」、トルーマン・カポーティは「男性の手首ほどの太さがあった」と評した。また自らもそれを隠すことはなかった。

 1965年7月5日死去(享年56)


<<重要なお知らせ>>

@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
@peps!・Chip!!は、2024年5月末をもってサービスを終了させていただきます。
詳しくは
@peps!サービス終了のお知らせ
Chip!!サービス終了のお知らせ
をご確認ください。



w友達に教えるw
[ホムペ作成][新着記事]
[編集]

無料ホームページ作成は@peps!
無料ホムペ素材も超充実ァ