加藤保男


加藤保男

加藤保男(かとうやすお 1949年3月6日生)
 [登山家]


 埼玉県生まれ。1971年、日本大学文理学部体育学科を卒業。兄で登山家の滝男の影響で登山を高校時代に始める。在学中に大学の山岳部には入部せず、滝男が主催するJECCで登攀経験を重ねる。1969年から1972年にかけて、アルプスの三大北壁(アイガー、グランド・ジョラス、マッターホルン)を登攀。

 1973年10月26日、第2次RCC登山隊で、石黒久隊員とともに、エベレストのポストモンスーン期(秋季)初登頂を果たす(ネパール側、東南稜)。日程上、強行軍であったために、サウスコル(7986m)のキャンプからの一気の登頂であり、8650m地点でのビバークを余儀なくされ、翌日、長谷川恒男隊員に救出される。奇跡の生還と言われたが、この時、凍傷で足指すべてと右手の指3本を失う。

 1975年、インドヒマラヤ最高峰(7816m)のナンダ・デビ登頂。1980年5月3日、エベレスト(チョモランマ・珠穆朗瑪)にチベット側の北東稜から登頂。1981年10月には、尾崎隆ら三人による遠征隊でマナスルに無酸素登頂。

 1982年末に冬期エベレスト登頂を目指し、12月23日に7900mの最終キャンプから一人でアタックしたが片足のアイゼンが脱げ落ち、強風のなか8100m地点で断念した。12月27日に再度、小林利明とともに最終キャンプからアタックし、約11時間後の15時55分登頂に成功した。小林は加藤より遅れたため登頂を断念した。2人は下山中に南峰(8750m)付近でビバーク、消息を絶った。

 12月30日、-50℃近くまで気温が下がり40-50m/秒のジェット気流が吹き荒れる気象条件下で3晩が過ぎ、酸素も14時間分しか持っておらず、食料も欠乏したと考えられることから生存が絶望視されるに至り、ベースキャンプからも「遭難死は間違いない」との連絡が入った。

 1982年12月27日死去(享年33)


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