ダイナ・ワシントン


ダイナ・ワシントン

ダイナ・ワシントン(Dinah Washington 本名:ルース・リー・ジョーンズ 1924年8月29日生)
 [アメリカ・歌手]


 アラバマ州タスカルーサに生まれる。3歳のとき、家族とともにイリノイ州シカゴへ移住。シカゴでは、幼少期からゴスペルの世界に身を投じ、地元のバプティスト教会のクワイヤーでピアニストとして活動した。15歳のとき、シカゴのリーガル劇場で行われたアマチュア・コンテストに出演し、ポップスを歌い優勝。18歳の頃にはナイトクラブでジャズ・シンガー/ピアニストとして活動するようになった。1943年、ライオネル・ハンプトンの楽団に加入する。彼女が芸名のダイナ・ワシントンを名乗りだしたのはこの頃である。同年、レナード・フェザーが取り仕切り、キーノート・レーベルのために初のレコーディングを行った。レコーディングされた4曲のうち「Evil Gal Blues」がヒットを記録する。その後もしばらくハンプトンの楽団に在籍しソロ活動はしていなかったが、1945年には自己名義でアポロ・レーベルに12曲をレコーディング。間もなくマーキュリーと契約し、本格的にソロ・シンガーとしての道を歩み始めた。

 マーキュリーでは1948年に「Ain't Misbehavin'」がR&Bチャートの6位を記録したのを始めとして、数多くのヒットを生み出した。ポップスからカントリーまで幅広く歌いこなしたが、中でも1959年の「What A Diff'rence A Day Makes」は、彼女のスタイルの幅広さを象徴するナンバーとして知られている。ドーシー・ブラザーズによるラテン系のボレロをカヴァーしたもので、ポップ・チャートでも8位を記録する大ヒットとなり、ダイナはこの曲でグラミー賞も獲得した。1958年には、ニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演した。

 1962年、当時カウント・ベイシーやサラ・ヴォーンらが所属していた新興のルーレット・レコードに移籍する。1963年12月14日、ダイナは睡眠薬・痩せ薬とアルコールを同時に過剰摂取したことにより、39歳で急死した。アメリカン・フットボール選手のディック・レーンとの結婚の僅か半年後のことであった。

 1963年12月14日死去(享年39)


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