古尾谷雅人



古尾谷雅人(ふるおやまさと 本名:古尾谷康雅 1957年5月14日生)
 [俳優]


 神奈川県川崎市の旧家の子として誕生するも、幼少時に両親の離婚による生母との生別、その後、父が迎えた継母との不和に苦悩した少年時代を送る。都内の高校卒業後、靴メーカーに就職したが、20歳で劇団ひまわりに入団、演劇活動開始。初期は本名で活動。俳優デビューは日活ロマンポルノ、特に社会派ミステリーや耽美的な作風で初期のロマンポルノ人気を支えた田中登監督作品に多く出演し、屈折した青年像を演じた。

 一般作進出は、1979年のフジテレビドラマ『二人だけの儀式』だが、本格的進出は1980年の映画『ヒポクラテスたち』。作品・古尾谷はじめ主要キャスト全員の演技力の高さが評判となった。さらに1983年の日本テレビドラマ『若草学園物語』で主役の教師役をつとめ、その主題歌「見上げるだけの人間のようで」で歌手デビューも果たすなど、一躍脚光を浴びた。その他には『金田一少年の事件簿』の剣持警部役、『六番目の小夜子』では山田孝之演じる秋の父親役として出演したりするなど、日常性に立脚した役柄でも実績を築き、名脇役の俳優でも知られていた。

 2003年3月25日、首吊り自殺により死去。晩年は事務所兼自宅マンションの住宅ローンや、亡父の遺産相続をめぐって継母との民事裁判を抱えていた。古尾谷の死後、妻で女優の鹿沼絵里が語ったところによれば、1980年代後半、アイドルが主役のドラマや映画が主流となり、1990年に入るとバブル景気を背景にトレンディドラマがブームになる中、古尾谷はあくまで硬派な役柄やシリアスな役柄などにこだわり、仕事を選ぶようになった。またキャリアを積む中でギャランティーも上がり、起用する側も古尾谷を敬遠するようになった。その影響で仕事が減り、1日中家にいることも多くなり、昼間から酒浸りの生活になった。また収入が激減したことで、住民税や1億5000万円で購入した自宅マンションのローンなどの支払いが滞るようになり、鹿沼も「元・女優」というプライドを捨てて近所のスナックでアルバイトをしながら金策に奔走し、返済を進めたが、結果的に借金は3億円にまで膨らんだ。そうした状況下で実父の遺産相続を巡って継母との係争問題が表面化。元々洗面所でいつまでも手を洗うほどの潔癖な性質に加え、こうしたさまざまな焦燥感によるストレスと昼夜逆転の荒んだ生活などから精神的に不安定な状態が顕著となり、鹿沼に対して顔面に重傷を負わせるほどのDVに及んだかと思えば、逆に突然鬱状態に陥り「舞台で死ねたら役者として本望」「自分は必要ない人間じゃないか」と悲観的な言葉を発するようになるなど不安な日々が続いていた矢先の悲劇だったという。戒名は天鴻院漲演日雅居士。

 2003年3月25日死去(享年45)


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