アマラとカマラ



アマラ(Amala 19??年?月?日生)とカマラ(Kamala 19??年?月?日生)
 [野生児]


 1920年にインドの現西ベンガル州ミドナプール付近で狼とともに暮らしているのを発見された二人の少女。

 シング牧師は伝道旅行の途中に、ミドナプールとモーバニの境にあるゴダムリ村で、牛小屋に泊めてもらった。そのとき現地のチュナレムという男に、近くのジャングルに恐ろしい化け物がいるから追い払って欲しいと依頼される。依頼を引き受けて調査に向かい、1920年10月17日にシロアリ塚で狼と暮らしている2人の少女を発見、保護した。牧師は2人を連れて10月28日にゴダムリ村を去り、11月4日にミドナプールにある自分の孤児院に到着、以後はそこで保護した。

 発見当時の年齢は不明だが、シング牧師は年少の子が約1歳6ヶ月、年長の子が8歳と推定している。11月24日、年長の子を「カマラ」、年少の子を「アマラ」と名づける。カマラは「桃色のはす」、アマラは「明るい黄色の花」という意味である。

 アマラとカマラはともに狼のような振る舞いを示した。ひざや腰の関節はかたく、立ち上がったり歩いたりすることはできず、四つ足で移動した。食事は生肉と牛乳を好み、食べるときは手を使わず地面に置かれた皿に顔を近づけてなめるようにして口に入れた。 聴覚・嗅覚は鋭く、70m離れたところで捨てられた鳥の内臓を察知し、その方向に四つ足で走っていった。目は暗闇でぎらぎらと光り、暗くても目が利くが、そのかわり日中は物がよく見えていないようだった。また、暑さや寒さにもほとんど反応しなかった。真夜中に遠吠えのような声をたてる以外は音声を発しなかった。シング牧師は、彼女らを人間社会に融和させようと試みた。シング牧師の夫人はマッサージ師であり、からし油を使って2人の硬くなった関節などをマッサージしてあげた。また、アマラはのどが渇いているときには「ブーブー」というような声を出すようになった。

 1921年9月に入り、2人は病気が重くなり、数日間は昏睡状態となった。医者に診てもらい、9月12日には寄生虫を除去。15cm前後の虫がアマラの体から18匹、カマラの体から116匹排出された。カマラは病気を乗り切ったが、アマラは9月21日に腎臓炎で死去した。

 アマラの死を理解するとカマラは両目から涙を流し、アマラの亡骸のもとを離れようとしなかった。アマラが死去した9月21日から9月27日まではひとりでずっと部屋の隅でうずくまっていた。10月になってもカマラは意気消沈したままで、白痴のようになってしまった。その後、シング夫人がつきっきりで世話とマッサージをし、11月の半ばを過ぎるとカマラは以前の元気を取り戻した。

 その後、カマラは直立二足歩行のための訓練を受けはじめる。1923年6月10日に初めて2本足で立つことに成功し、少しずつではあるが言葉をしゃべるようになった。1926年までに30ほどの単語を覚え、1927年に入ると短い簡単な文を口にすることができた。

 1928年頃からカマラの体調は悪くなり、1929年9月26日に発病。町中の医師の努力も空しく、11月14日の朝4時頃、尿毒症によって死亡した。

 女の子たちを見つけたと主張するシング牧師たった一人の情報源により宣伝・報道され、彼は幼少時に親に捨てられた少女たちが狼に育てられたものと発表し、文明から切り離されて育てられた人間(野生児)の事例として有名な逸話となったが、その真実性について多く議論がなされた。数多くの科学者や研究者が、彼女たちは自閉症だったと述べている。最近の研究により、牧師の話は詐欺であったと結論づけられた。

 アマラ
 ┗1921年9月21日死去(享年?)
 カマラ
 ┗1929年11月14日死去(享年?)


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