レフト・アイ



レフト・アイ(Left Eye 本名:リサ・ニコール・ロペス 1971年5月27日生)
 [歌手]


 ペンシルベニア州フィラデルフィア出身。T-ボズ、チリと三人で「TLC」を結成し、1992年にシングル「エイント・2・プラウド・2・ベッグ」でデビュー。グループではラップと作詞を担当する。2ndシングル「ベイビー・ベイビー・ベイビー」は全米チャート2位、R&Bチャート1位となる。1stアルバム「エイント・2・プラウド・2・ベッグ」は全米で500万枚以上のセールスを記録、日本では20万枚のセールスを記録する。

1994年には彼女たちの代表作とも言える2ndアルバム「クレイジーセクシークール」をリリース。シングル「クリープ」、「レッド・ライト・スペシャル」とヒットが続き、「ウォーターフォールズ」では歌詞の内容と、当時最先端のSFXを使用したミュージック・ビデオでも大きな話題を呼び、全米チャート7週連続1位という大ヒットを記録。アルバムは全米で1000万枚以上のセールスをあげ、見事グラミー賞を獲得した。1999年の3rdアルバム「ファンメール」は全世界で1000万枚以上のセールスとなり、日本でも100万枚というセールスを記録、再びグラミー賞を獲得した。

 レフト・アイはコンドームを眼帯として使用するなど、そのファッションが注目されただけでなく、当時付き合っていたフットボール選手アンドレ・リソンが持つ86万ドルの豪邸に放火したりと、何かと注目された。2000年にショーン・ニューマンと結婚するとされたが、破局。翌2001年にはアンドレ・リソンと婚約するも、解消。同年、ソロ・アルバム「スーパーノヴァ」をリリースしたが、レコード会社移籍など多くの問題を抱えていたため、世界中でリリースされたが全米では発売を中止した。

 TLCでのいっそうの活躍が期待されたが、4枚目のグループ・アルバムのレコーディング中、また自身の2ndソロ・アルバム制作中の2002年4月25日夜、レフト・アイが中米ホンジュラスフティアパ近くのハイウェイでSUV車を運転中、木に衝突。頭部の怪我により30歳の若さで他界した。

 アメリカの音楽専門局VH1が「ラスト・デイズ・オブ・レフト・アイ」と題したドキュメンタリーを放送した。レフト・アイの遺族の協力の下、未公開映像を放送したが、レフト・アイが交通事故を起こす瞬間の映像が含まれていた為、波紋を呼んだ。レフト・アイがハンドルを握り運転して穏やかな様子から一変、悲鳴が上がり、木に激突する前までの映像がおさめられている。事故時レフトアイはシートベルトをしていなかった。この死亡事故に関して、警察はスピード超過によるものと判断したが、レフト・アイの母親ワンダ・ロペスが、事故の原因をモンテロ(日本名:パジェロ)の欠陥によるものとして、2005年6月大手自動車メーカー三菱自動車を相手取った訴訟を起こしている。レフト・アイの死後、T-ボズとチリはレコーディングを続行、レフト・アイがすでに録音していた音源も使い、4thアルバム「3D」を2002年に完成させている。

 2002年4月25日死去(享年30)


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